大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)1372号 判決 1970年7月23日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人と亡吉見一夫との間の昭和三九年七月一〇日鹿児島県加世田市長受理にかかる届出でした養子縁組は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張、証拠の提出、援用、認否は、控訴人において別紙のとおり陳述し、当審における控訴人本人の尋問の結果を援用し、被控訴人において、当審における被控訴人本人尋問の結果を援用したほか、原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。
理由
当裁判所もまた原審と同様、控訴人の本訴請求は理由がなく、棄却すべきものと判断するものであつて、その理由は、次のとおり付加するほか、原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。
一、原判決七枚目表末行の「並びに」の前に「当審における被控訴人本人尋問の結果」を加える。
二、控訴人は、亡吉見一夫には被控訴人と養子縁組をする意思は毛頭なく、本件養子縁組の届出は同人の不知の間にその意思に基かずしてなされたものであると主張するが、右一夫は、昭和三九年三月ごろ郷里である鹿児島県加世田市において病気療養中、これまで永年世話になつたことに対する謝意と自己の死後における供養を託したいとの気持から、被控訴人に自己の財産を贈与せんと考え、同市在住の司法書士東明義にこのことを相談した結果、同人の示唆により、被控訴人を養子として自己の財産を相続させることを決意し、被控訴人もまたこれに同意するに至つたので、右東が両名の依頼により、本件養子縁組の届書を整えて、同年七月一〇日加世田市長に届け出たものであることがさきに引用した原判決に明かなところである。控訴人は、当審における本人尋問において「父一夫の性格から考えて、被控訴人と養子縁組をしたのなら、一ことぐらい言つて貰えると思つていた。何も聞いていないので、本件縁組は一夫の意思によるものではないと信じている」旨供述しているが、元来一夫は、控訴人に自分の仕事の跡継ぎをさせることを強く望んでいたのに、控訴人がその期待に背いたばかりか、戦後は一夫の許をとび出して炭坑などで働き、やつと連れ戻して妻帯させても、僅か半年位いで再び父一夫の家を出て独自の生活をするようになつたことから、一夫は死に至るまで控訴人に対して満たされない気持を懐いていたことはさきに引用した原判決の認定のとおりであつて、このような親子間の状態からすれば、一夫が被控訴人との本件養子縁組の事実を控訴人に告げることがなかつたとしても、必らずしもこれを奇異とするに足らないので、右の事実からして直ちに本件縁組が一夫の意思によるものではないとは即断できず、他に原判決の認定を覆えすに足る新たな証拠はない。
三、次に控訴人は、かりに本件縁組の届出が一夫の意志に基いてなされたものとしても、それは財産贈与の方法として縁組の形式を利用したものであつて、真実養子縁組をする意思に出たものではないと主張する。しかしながら、本件養子縁組は一夫が被控訴人を自己の相続人の一員に加えてその遺産を相続させ、併せて死後における供養を託する意図でなされたものであることはすでに認定したとおりであつて、本件の一夫と被控訴人の如き高年令者間の養子縁組にあつては、右の如き相続による財産の承継などが縁組効果として重要なものといい得るので、一夫の本来の意図が被控訴人に自己の財産を帰属させることにあつたとしても、同時に親子としてのつながりを基礎として相続権を帰せしめることによりその目的を達成せんとしたものである以上、そこに縁組意思の存在を認めて何らさしつかえない。控訴人の右主張は理由がない。
四、さらに控訴人は、一夫と被控訴人とは叔父・めいの間柄にありながら一夫の内妻松股サヨの存命中から情交関係を重ね、同女の死亡後もその関係を継続していたものであつて、かかる不倫な関係にある者の間においては到底「縁組意思」の存在を認めることはできないと主張する。情交関係を継続中の男女が将来にわたつて右の関係を持続しつつ養子縁組の届出をしたような場合にあつては、かかる情交関係の存在は親子関係の成立と全く相容れない事実であるから、その届出は、民法八〇二条にいわゆる「縁組をする意思がない」ものとして無効とすべきことはまさに控訴人の主張するとおりである。しかしながら、いかなる態様にせよ情交関係が存在しさえすれば、その縁組は常に意思なきものとなるとはいえず、要は、その情交関係の時期内容、当事者の年齢、生活状況、その他の事情等を総合して判定すべき問題であるところ、一夫と被控訴人とは本件養子縁組前のある時期において、偶発的に何回か情交関係をもつたらしい事実が認められるが、それは、決して控訴人の主張するような夫婦然たるものではなく、人目をはばかつた秘密の交渉ともいうべき程度のものにすぎなかつたことがさきに引用した原判決の認定からして明かであつて、右の事実に、被控訴人が昭和二九年頃高槻市内で建築請負業をしていた一夫の許に身を寄せてから、昭和三九年七月一〇日本件養子縁組の届出がなされるに至るまでの間における当事者の各生活経歴および本件縁組がなされるに至つた事情等に関する原判決認定の事実を総合考量するときは、本件縁組の当事者間に、縁組前たまたま上記のような一時的情交関係が存在したとしても、かかる事実はいまだもつて本件縁組の成立を妨げるものとは認め難く、従つて本件縁組が「あるべき縁組の意思」を欠く無効のものであるとの控訴人の主張も採用できない。
以上説明のとおり、控訴人の本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
別紙
第一、事実論(事実の誤認について)
原審は「一夫は、それまで、サヨや自分が長い間世話になつたことの謝意と、自分の死後における吉見家の先祖及び自身の祭祀を被告に託したというかねてからの意図のしるしとして、被告に自己の財産を贈与することを決意し、養子縁組の方が難点が少ないという趣旨の示唆をうけて、結局、その道を選ぶこととし、被告もまた一夫の右意思に従つて養子縁組に同意するに至つた」と認定したが、一夫は、被控訴人に対し、謝意の気持もなかつたし、吉見家の祭祀を託する意図もなく、従つて、養子縁組をなす意思は毛頭なかつたものである。
一、一夫の被控訴人に対する気持について。
被控訴人は、昭和二一年永田十吉と結婚したが、二児を儲け乍ら、十吉の行方不明等のため生活に困り、一時、郷里鹿児島の兄のもとに身をよせていたが、そこでも生活は思わしくなく、叔父一夫をたよつてきたものである関係上、一夫としては二人の子供をかゝえて生活に困つている被控訴人の面倒世話をしてやつたという気持こそあれ、被控訴人に世話をしてもらつたという感謝の気持をもつていたものではない。女性関係では節度のなかつた一夫は、長年内妻としてつかえた松股サヨがあり乍ら、同人が交通事故にあい、ひきつづき病床にふするようになつてからは、被控訴人とも道ならぬ肉体関係を結んで、サヨもこれを知るに及んでその存命中は深刻な三角関係、家庭争議の絶えるまがなかつた。サヨは被控訴人に怨嗟の念を抱きつつ息をひきとつた。そして、サヨの死後、被控訴人は一夫と公然と後妻としての生活を送つていたもので、控訴人らも他言を憚ること乍らやむをえないことゝして看過し、世間もそう信じて疑わなかつた。以上の経過からも明らかなように、一夫は被控訴人の面倒をみた気持をもつていたもので、原審の認定するところとはむしろ逆の関係にあつたのが実状である。一夫が病床に臥するようになつてからは被控訴人は控訴人と一夫をひき離そうとして控訴人が一夫と会うのを嫌い、一夫にはむしろ冷い仕打ちをしているように見うけられた。一夫は被控訴人との従来の不倫な関係がわざわいして、それが重荷となつて後悔のほぞをかみつつ死亡したものである。死の直前、控訴人らが一夫を見舞つた時にも涙を流して異常な喜びの情を示しつつも、被控訴人を何かおそれるような気配を示していたのを思ひ出すにつけてもその感を深くすると共に、一夫が被控訴人を養子に迎えたなどということは、そのような素振りからも倒底信じがたい。被控訴人は一夫の死後、初めて一夫との養子縁組の事実をつげて、兄吉見義弘と共に一夫の財産をとることにのみ吸々としているものである。
二、亡吉見一夫には、自分の死後における吉見家の先祖及び自身の祭祀を被控訴人に託する気持があつたと思える徴表は全くなかつた。
一夫と控訴人は親一人、子一人の仲で、一夫は控訴人のみが真実の子で同人のみが吉見家の後継者で同人のみに自分の死後、吉見家の先祖及び自身の祭祀を託していたものであることは次の諸事実より明白なところである。
(1) 原判決のいうように、一夫としては、控訴人が自分の期待するようには仕事の跡継ぎもせず、別居する形となつて、或は、死亡に至る迄満たされない気持をいだいていたかも知れない。しかし、控訴人の妻寿子との結婚の経緯を考慮にいれると、そのことの故に、控訴人を全く見離して、原判決のいうように、控訴人を吉見家の後継者と考えず、吉見家の先祖の祭祀をつかさどるものより排除して被控訴人にそれを託したとは絶対に考えられないし、他にそのように見られる事実は何等存しない。
すなわち、一夫が控訴人を自分の仕事をつがせようとしたのはその結婚前のことであつた。そして、如何にしても控訴人に自分の期待していた請負大工の職業をつがせることができないことを知つて、これを充分承知の上で控訴人を九州からよひもどし、吉見家をつがすものとして、自分で、郷里鹿児島に帰り、吉見家の後継者にふさわしい嫁という条件で、同郷の訴外寿子をむかえたのである。その後は、控訴人も結婚前のように一夫の諒解をえずして行動したことは一つもない。別居するに至つたのも喧嘩別れによるものではなく、控訴人の勤務上の都合で一夫の承諾をえて会社の社宅に転宅したものであり、その後、また近くの一夫のアパートに引越したのも一夫の希望をいれてのことであり、初孫ができたときも一夫は大変喜び、お祝いをくれたし、妻寿子とも孫たちを連れて一夫のところへもゆき、一夫は孫たちを非常に可愛がり、その顔をみるのを楽しみにして、かつ、またその聰明であることを自慢にしていた程で、その死亡直前も孫達が見舞にきてくれたのを涙を流して喜んでいた。ただ、被控訴人は、何故か控訴人とその家族が一夫のところへ来るのを嫌い、その都度冷い態度で迎えていた。
このように、控訴人は一旦は一夫のもとを離れて消息をたつた程であつたが、一夫は控訴人を吉見家の長男、一人息子として吉見家を継がすためわざわざ知人をたてて控訴人を連れもどし、吉見家の後継者としてその妻寿子も一夫の推挙、指示により迎えたものである。そして、その後は、控訴人は一夫死亡に至る迄吉見家の唯一の後継者として何人も疑うものはなかつたし、被控訴人を吉見家の祭祀をつかさどるものとして養子として迎えるような事情は何一つなかつたのである。
さればこそ、控訴人はもとより近所のもの親戚一同、知人は一夫死亡後、被控訴人より聞かされる迄は被控訴人が一夫の養子となつているということは夢想だにしなかつたところである。
(2) 身分関係の変化、変動は、その死後を思い、所謂従来の「家」の観念を重んずるものにとつては、また特別に極めて重大な意味をもち、重要な関係、出来事として家族のものはもとより、親族、親戚一同その他知人に披露するものである。
ところが、本件被控訴人の養子縁組は一夫の死亡前一年四ケ月程も前に届出されており乍ら、而も、一夫はもとより被控訴人もその間控訴人その他幾多の知人、親戚近隣の者に会つても、被控訴人との身分関係については一言も何人にも語つていないということは、まことに不可解なことである。一夫が知らないうちになされた偽造の縁組届出と信ずる第一の理由である。
一夫は性格的には几帳面ではつきりしたところがあり義理を重んじ昔風のひとで、ふるい習慣、慣習を大切にしていたものであるから、真実の意思として被控訴人との間に原審認定のような身分関係が生じ、そのような気持になつたものであれば、控訴人にはもとより知人、親戚に正式な披露まではしないまでも、何らかの機会に口外はしていた筈である。
原審の如き認定をするためには、何故に肉体関係があり世間的には夫婦関係にあるものと思われているものが養子縁組届出をし乍らその当事者からは全く近親、父子親族にも知らされていなかつたかというこの特別の事情の認定説明を要するのに拘らず、何らこれらの事情にふれるところがない。経験法則に違反した独断的事実の認定とのそしりを免れないものと信ずる。
三、本件養子縁組届出は一夫の知らない間にその意思にもとづかずになされたものであるが、仮に、一夫がその届出を諒解したものとしても、その真意は養子縁組をする意思でなしたものでなく、財産贈与の方法として養子縁組の届出を承諾したものと認定すべきものである。けだし、もし、死亡前一年以上も前から原審認定のように自己及びその先祖の祭祀を司るものを定める真意のもとに本件養子縁組がなされたのであれば、何かそのような徴候があるのが普通であろう。然るに、原審が一夫と被控訴人とをめぐる認定事実からしても養親子関係とみられる節は全くないのみならず、むしろそれを否定する情交関係さえあつたことが認められるばかりでなく、財産贈与が重きを占めていることも明瞭である以上、ただ、これを養子縁組の動機とみることは甚しく常識、経験則に反するものである。原審には「真意は財産を贈与するという行為を通して原告ならぬ被告を自己及び自己の祭祀を司る者と定めるにあつたことも容易にうかがえる」というが、何故このような認定ができるのか理解できない。
けだし、控訴人は九州から一夫の要請により帰つてからは一夫の意に副う妻寿子を郷里より迎え、一夫は寿子を嫁にもらうに際しては控訴人が吉見家の後継者であることを公言してこれをめとつたもので、寿子と結婚後は控訴人は真面目に会社づとめをして円満な夫婦生活を営み二児をもうけ、一夫は孫の出生を喜び大いに満足してその孫達の成長をみて可愛い聰明な孫として吉見家の将来の隆昌を期待しこれを自慢にしていたほどである。一方、被控訴人は先夫と別れ二人の子供をつれてその生活に窮していたのを一夫が姪である縁からこれを助けたものにすぎず、しかも、世間態をはばかる不倫な情交関係を結んでいたものである。
このような両名を比較する場合、控訴人ならぬ被控訴人を吉見家の祭祀を司るものとして指定することは「家」を重んじ子孫の隆盛、発展、幸福を希求する健全な常識あるものゝ処理としては到底首肯できないところであるからである。
第二、法律論(法律解釈の誤りについて)
一、原審は養子縁組の意思の解釈を誤つている。
民法第八〇二条第一項は、人違いその他の事由によつて当事者に縁組をする意思がないときは無効としている。
こゝにいう縁組の意思とは、一般的には親子関係を成立させる意思であることには間違いないが、ただ単に当事者間に親となり、子となるという合意があればすべて縁組の意思ありとして認められ、わが民法上、養親子関係が成立するものではない。そこには、民法の「あるべき縁組の意思」の存在を必要とする。いゝかえれば、縁組の意思にも規範的な意味の制約があるということである。すなわち、縁組の成立を認めることによつて社会通念として考えられる酵風美俗が害され、公序良俗に反すると思われたり、或はこれが人倫にもとると考えられるなどして社会常識、社会感情としてその親子関係の存在を容認しない場合には、右の有効な縁組の意思あるものと解すべきものではない。
けだし、そこには、養子縁組の当事者として規範的な意味をもつ養親と養子関係を成立させる意思の存在が認められないからである。
二、而して、従来のわが判例に於ても、兵役を免れる目的のための養子縁組や芸妓とするための養女縁組を無効としているのも、すべてそのような意図がある養子縁組は、たとえ、真実、当事者としては縁組の意思がある場合でも、それは社会感情に反し人倫にもとる等「あるべき縁組」ではないということからそのように解釈されているものである。ところが、情交関係が持続しつゝあるものゝ関係に於て、養親子間に於ける情交関係を不倫の行為として擯斥すべきことゝし乍らも、離縁の事由にとどまり、之が為に其の親子関係を生ぜしむる意思をもつてなした以上、養子縁組其のものを以て不倫の行為視し、無効でないとした。
しかし、この判決につき、中川教授は「情交関係を持続しつつ縁組をなさんとする意思が民法第八五一条(現行第八〇二条)に謂はゆる養子縁組を為さんとする意思とはいえない。」として強く反対の見解を表明されている。その理由とするところは、縁組の無効とならないためには、凡そ養子縁組の当事者として「当にあるべき意思」がなければならない。養親と養子らしき関係を作ろうとする意思が必要である。そしてその標準は、現在日本の一般的習俗の決定する所に従うというの外はない。それは、何が婚姻であるかを決する者が結局は習俗であるのと変りはない。
この故に、情交関係があるということは、絶体に如上合理的縁組意思と両立し得ない事実である。縁組意思の存在は定型的縁組関係と矛盾する事実の併存を許さない。さればこそ、大審院もいう如く「養親が養子に斯る不倫の行為に出でたる場合、之を以て離縁の事由となし得る」のである。それは、養親子関係の死滅した場合なるが故である。養親子関係を存続し得なくなるような矛盾的事実が発生したからである。離縁判決は常に縁組関係の死亡診断書に外ならない。生きている縁組をも殺すような事実が、どうして新らしい縁組を生み出すことが出来ようか。」とのべておられる。
控訴人も中川教授の説に全面的に讃意を表し、これを援用するものである。
三、ところで、原審の、親子関係は社会通念によつて決するのほかないとした限りに於ては、敢えて異議をさしはさむものではないが、原審のいうところの、その社会通念の内容が問題である。すなわち、「たとえば、本件の一夫と被告の如く、かなり高年令者間のいわゆる成年養子縁組にあつては、親子らしい情愛の交流を軸とする生活実態よりも、永世への願望を秘めた養親側の財産ないし祭祀の養子への承継を以て親子関係の標識としてより素直に受容することが当代における社会通念というべきである。この場合、ただ縁組当事者間に情交関係が存在したとしても(一回の情交関係として認めていないのに)ただそのことによつて、当然に縁組意思まで否定されねばならないとする推論も成り立たなければ、事実上の牽連関係も認められない。」とした点は承服できない。
四、養子縁組の親子関係が、当事者の年令、境遇、職業等によつて多様化することは否めないが、動物ならいざ知らず、人間として越えてはならない親子関係、現代日本の一般的習俗に反する親子関係は、如何に多様化を認める立場からも、社会通念としての親子関係として認容されるところではあるまい。
而して、一体、親子関係を創出しようとするものが、情交関係を結んでいたり、また、現にそういう関係を継続している場合に、現代の社会通念として親子関係を認めるであろうか。絶対に「否」である。親子が肉体関係を結ぶということは、如何に野蛮な未開の民族と雖も人間として観念される限り、それがただの一回の行為と雖も、これを肯定或は認容するものはなかろう。況んや、文化国家をもつて自負し長らく儒教、仏教の影響をうけ、近代に於ては、西洋の諸文化によつて洗練された現代の日本国民に於てはかゝる関係は考え及ばないところであり、そのようなことは、人面獣心以上のものとし顰蹙を買うことがらである。従つて、法律上、親子関係を新しく形成しようとする養子縁組当事者に於てどのような事情にあろうとこのような関係にあるものゝ親子関係は到底許容しえないとするのが現代の社会通念による親子関係と断じて憚らない。然るに、この人間として絶対に考えることすらできない醜悪にして人倫にもとる親子の情交関係に目を覆つて、そのようなこともありうるものとしてこれを認容、肯定する原審の縁組意思の許容の解釈は、時代に逆行し、人間を動物又はそれ以下の存在として認識しようとするものと評されても致し方あるまい。
五、また、原審は、「もし、いかなる態様にせよ、情交関係が存在しさえすれば、当然、絶対的に縁組が公序良俗違反の評価をうけるべきものとすることが相当でない所以は、情交の事実がたまたま一回の過ちにすぎなかつた場合を想定すれば、直ちに首肯しうるところであろう。」というが、これも親子関係に関する限り、そのいうようには簡単に納得できない。けだし、親子が情交関係を結ぶということは、親子関係を否定するものでありこそすれ、(縁組意思の否定)普通の過ちというような観念では説明のできることではないと思うからである。
六、仮りに、原審のいうように情交関係の態様について考えても、本件の場合、親子関係を設定するには余りにも反倫理的感情を催さざるをえない事案である。すなわち、一夫と被控訴人は叔父、姪の関係で結婚できない間柄、いわば法律的に肉体関係を禁じられているものである。そして、一夫には松股サヨという妻があるのに、同人と同居し乍ら一夫と情交関係を重ねて、同女の死亡後も肉体関係を結んでいたものである事実が看取されるに至つては、これを、法の許容する親子関係の存在、縁組の意思があるものとして認めうるものとは解しえない。かゝる親子関係の存在は到底社会通念としてうけいれることができるものではない。